小さなことが地球と調和する喜びになる

SUR #003
七積としみさん

 

環境問題の最前線、省エネルギーの仕事で10年以上のキャリアを持つ七積(ななつみ)としみさん。文系出身でありながら理系の分野で輝く場所を見つけた今、新しい可能性に情熱を傾けスタートアップを目指しています。声を上げることが自信となり、目指す道に戻ることができる。自分自身に向き合うことで見えてきたこと、残すべきことは何なのか。これまでの道とこれからの道について教えてもらいました。

 

 

“ふるさと”のないことが強みになるまでー

幼少時代は引越しが多く、住まいが点々としました。同じ日本でありながら言葉も文化も違うことに馴染めずにいました。これまでの価値観が通じないのはどうしてだろう。決して方言を使わないように過ごし、いつの間にかその土地に染まらないことさえ意識するようになっていました。

わたしの人生は定住することがなかったので留まることが怖いんです。土地を移ることで感じてきたギャップと苦労が、大人になって好奇心や興味の引き出しの多さにつながっています。幼いながらに着実に経験を重ねていたんですね。留まるのがもったいない、染まりたくない、そんな想いから“わたしらしさ”が引き出され財産となったのだと思います。

今、携わっている省エネルギー分野の仕事はとても忙しく留まっていられません。全国各地への出張も当たり前のようにあります。けれども、幼い頃に育んだ感覚でその土地の風土や魅力、企業の個性さえもすぐに感じ取れるのでコミュニケーションがスムーズに進みますし、出会った方々との信頼関係も築きやすくなっています。

間違いの許されない数字の世界ですから多少のストレスは感じます。それでも出張で訪れる新しい土地への好奇心や期待が溢れるからバランスが取れているのかもしれませんね。仕事の合間にかつて住んだ土地に再訪することも楽しんでいます。

 

 

何を優先するのが正解なのか、社会に疑問を抱えてー

社会人になって初めての仕事が造形デザインでした。当時はその時のためだけに作って壊す、刹那的で繊細な「永遠でない時」が好きでした。非日常の世界のためにチームが組まれ、一度きりの夢に燃え尽きる。でも、だんだん変わってきましたね。自分で作り出したものがすぐに壊されることから “今しかないキラメキ”を大切に、自分のやりたいことや思い入れが残る仕事がしたいと思うようになりました。

転職を経験し、当たり前のように人間関係や仕事に悩みも抱えましたし失敗もたくさんありました。でも、大きな悩みや転機の後には根本が見直されて、もともとの歩みに道があったと気づくことばかり。不安は大きいはずなのにどこか安心している自分がいたんです。自分らしさを押し殺していかに勝つかどうかが重要視されていて、根本的な社会構造や意識に違和感を覚えていました。結婚はできるの?子育てはできるの?会社や勤務地に縛られたライフスタイルに疑問を抱いて独立を決意し、現在に至っています。土壇場の力がすごいんですよね。

その時果たせなかった寂しさが独立する強さに変わったのです。

回り道をしたように見えるかもしれませんが、ずっと積み上げてきたことや考えてきたことが一番で最速、そして最短だったと思います。解決できなかったことも本質的な見直すきっかけをもらえたようでまた動き出せます。自分の歩んできた道を振り返ったら道はできていた、その道はもう長かったんだと気づきましたね。

省エネ分野は誰もやっていないところが好きでした。過去にやっていたことの再起となるような自然な流れと巡り合わせも落ち着いて受け止めることができました。

 

企業と個人、社会的責任のはざまでー

企業に対して省エネの普及も仕事のひとつなのですが、経営者に訴えても何で?ってなることがまだまだ多いんです。

当たり前ですがとにかく売上があることがまずは優先されてしまいます。

省エネのためには設備や運用でエネルギー使用量を下げるのが基本的な発想です。ところが、省エネになることは分かっているけれどできない。企業体力としてできるかできないかが出てくるんですよね。設備投資できるだけの環境があるのかどうか。本業と違う部分で関わることで、採用や開発力など企業の悩みが聞こえるようになってきました。数字だけでは解決できない問題が潜んでいる現実が本当に切ないんです。社会のある種の歪みが見えたことで企業活動って何だろうって考えるきっかけになりましたね。

豊かな生活のために開発されたとしても、ゴミになることが前提の使い捨てのものが増えるのならば、作らない方がいいのかな?と。だからこそ無形の価値を創造することがミッションだと捉えるようになりました。ものや数字だけでは解決できない精神性や思想に注力し、ライフワークとして探求したいんです。SDGsは社会貢献だけど、持続可能にするために、本業で利益を上げることが前提となっている。けれども、わたしは利益を前提とする考え方を一度取っ払ってみて、その上で持続可能な社会貢献を追求したい。そしてそれは、誰かの疲弊の上に成り立つものではなく、自らも満たされながらみんなの喜びの上で成り立つものでありたいと考えています。

 

 

省エネから見える環境問題への問いと導きー

「おもてなし」「もったいない」という美しい日本語があるのに形だけがただそこに残ることが日常化してしまう寂しさを感じているんです。

贅沢な悩みですが、わたしたちが目にするものは完全品ばかりです。豊かさが既に提供されている世の中なので、考えなくても知恵を出さなくても暮らせてしまう。クリエイティブが進まない暮らしが成立してしまっています。例えば、あえて買わない選択をしてみることもひとつ。ないことで考え、表現する喜びを知ればもっとクリエイティブになれるのではないでしょうか。

日頃、SDGsに近い環境で仕事ができることに大きな意味と社会貢献があるのではないかと思っています。企業や個人がリアルに向かっていけるのか、一番近くで体感できることが強みであり自分自身への導きとなっています。売上でも社員数でもない、違う側面から企業が見える中でわたしの気づきを社会に役立ててみたいと今、心から願っているところです。

 

好奇心が勝るだけで進み続ける道があってもいいー

省エネの仕事が今日までできていることにも意味を見出していますね。どうして文系のわたしができているんだろう、その謎を解き明かしてみたいことも好奇心のひとつです。

大変そうだと思ってもやったことがないものに魅力を感じ、好奇心が勝ってしまうんですよね。好奇心があればアンテナがすぐ働くじゃないですか。自分を高めてくれるし自己発見ができるって素晴らしいと思います。

ずっと我慢するタイプでしたがある時気付いたんです。過小評価することは自分をマイナスにしていて傷つけているからやめようと、強く誓いました。だから我慢しなくてはならない環境にある人を見ると何とか力になりたいと思ってしまいます。わたしにとって発起する大切な原動力になっています。

好きなことだから続けられる、ライフスタイルに応じてできる時とできない時があってもいい。それでもまた戻れる“場所”、出入りも自由、あったらいいなと思える確かなものを創り出したいですね。

 

 

今、表現の時代を迎えてー

学生時代は表現を学びました。体で表現することが好きなのでてっきり演じる人になるだろうなと思っていました。そんな好きに後押しされて理性が働きそうなところも自分の好奇心を信じて乗り超えてきました。

わたしにとって好奇心は自己発見です。その面白さでもって自分の人生を最大限生かしたいですし、可能性には制限をつけない。もっと伸ばしたい、もっと広がることがあるのであれば何でもしたいなと常に行動しています。

一方で、仕事では数字や論理に頭を使わなくてはならなくて表現の部分を使わないようにしていました。そこは我慢でもありました。でも抑えている表現の能力を解放したのなら、もっと違う何かが生み出せるのではないかと思えるようになりましたね。かつて好きだったことを融合したくなったのです。

これからはどんな仕事もどんな人間関係でも表現することやコミュニケーション能力が問われています。自由な表現を楽しむ生き方が認められつつありますね。でも、意識の高まりに反して守るべきものと進むべきもののギャップも生まれていることは事実です。

もちろん環境に配慮した社会活動をするために企業は社会責任を問われています。しかしながら、そこに重要な要素があるとするならば、それは設備でも人でもなく精神性とその表現方法だと思えるようになりました。人はなんのために生きているのか、企業の悩みは個人の悩みでもあり上手くいくためにどう表現して形にすればいいのか。作るだけでは解決し得ないことに向き合っているのかどうか、ひとりひとりが考える思想が大きな支えとなる時代になっているのではないでしょうか。

 

小さなことが地球と調和する喜びになるー

SDGsが当たり前になってきましたよね。省エネルギーに関わり出した時から比べると社会の眼差しが飛躍的に変わってきました。その中でも企業の売上や利益より風土や精神が大切であることは仕事を通じて感じてきました。

社会貢献にリアルに関われるのか、その背景にはきっと企業精神が関係していると思っています。大規模な設備投資や優秀な人材が必要なことは確かですが、暮らしの中でできることを一人ひとりが学ぶ必要もあるのではないでしょうか。

好奇心を込めて表現するならば、省エネの仕事はまるでクロスワードパズルと社会科見学のようです。現場をしっかり見て感じたことを積み上げる。そして並べ替えてそのまた先の課題を解決に導きだす。見出した過程の中で自分なりに考えることがいつか社会の支えになるのではないでしょうか。

例えば、紙コップを捨てる時に水や氷はしっかり分別していますか?入っているままでいいの?このまま捨てたら不要なエネルギー使ってしまうよね?そんな疑問を抱くだけでも社会貢献になります。

ある日、テイクアウトしたコーヒーを飲み終えて捨てようとしていたんです。氷が残っていてもゴミ箱に一緒に入れてくださいと言われた時に「あれっ?」大きな違和感を抱いたのに、急いでいたから何もアクションができない自分がいたんです。あの一瞬の後悔が忘れられません。

もしもそんな大人の行動を見ている子どもがいたならば、文化に派生してしまいます。それ以来、一瞬の小さな後悔さえも残らない行動をしたいと思うようになったのです。

 

 

農との出会いが変えたものー

学生時代に芸術に触れていたことが今日のわたしにつながっています。自分を表現することをこれからは「農」で表現してみようと準備しているところです。

2020年春に田んぼと出会いがありました。それまでは農とは何の接点もない暮らしをしていましたが、田植えがきっかけとなり、素敵な仲間に出会い、ともに問題を解決したいと考えるようになりました。土に触れたことで、環境から社会を見ていたこれまでの疑問やわだかまりがすっきりと解決するような可能性を見たかのようでした。米作りをしているとたとえ小さく見える作業にも人間の創造性や智慧、意味や発見があるんですよね。

全ての営みは大地が吸収し、大地が治癒してくれる。その事実を理解したことが大きな転機になりました。土に触れることで天の恵みにこんなにも近づけるんだということに衝撃を受けました。どれだけ頑張っても得られなかった満足感が土に触れることで不思議と包まれている自分がいたんです。

今、まさにこれらの過程を物語として残したいと考えています。背景が何であれ、どんな仕事をしていてもいい、多様性の中で文化や言葉が違っても目指せる同じゴールがあるんじゃないか。仲間と協力することで誰かのかけがえのない人生の一部に触れられる、刺激がある、年齢も地位も超えて一緒に学べることの醍醐味を味わって、たくさんの人と共感し合いたい。目指す過程も喜びも一緒に楽しめる形を創り出したいと思っています。

“ただそこにある日常”の楽しさや面白さを共有し「行くだけでなぜか解決してしまう場所」、そんな現代のユートピアをリアルでもバーチャルでも実現することが夢ですね。

毎日の暮らしが満たされながら持続可能な形ってないのだろうか。結局は好きなことがしっくりして続けられるんですよね。

持続可能とは無理なく続けることができる=好きなことをやり続けること。みんなのやりたいことを叶える土俵作りからプラットフォームを創造し、ひとつひとつ積み重ねてみたいです。

 

そこにある日常の美しさを求めてー

そのためには一部だけを切り取るのではない「ありのまま」を伝える努力が必要だと思うんです。あえて間を見せていくこと、それが事実であり一体であること。途中経過の美しさ、喜びを伝えたいと思っています。存在として殺してしまわないことにしたいですね。わたしは生き物も物も無駄に命が奪われていくことを見ていられないんです。最大限に生かすことはできないものか。農に関わったことで、環境問題を改善するヒントがあるのではないかとそれぞれが重なって見えてきました。

現代社会は「間」を知らなすぎているんです。シンプルな事実、脚色もしない、そこにある日常を存在として見せていくだけでいい。そしてわたしもその過程を一緒に楽しみながら暮らすことができれば。何気ない日常の楽しさ、共同作業、そこにいる人と共感することで崇高な時間にもなる。日常に潜んだ神々しさの一瞬を切り取ってみたいですね。

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環境問題に近いからこそ養われた暮らしに向き合う力。そこに好奇心や表現、創造を願う情熱に重なりが生まれ、希望と夢の実現が何を変えてくれるのか。地球の営みに近づく事実をありのままに伝える美しさが叶う社会がきっと来ると信じています。

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協力/Toshimi Nanatsumi

聞き手・撮影/Chikayo Kono Modrušan

@croacica

協力/3×3 Lab Future https://www.33lab-future.jp