必要とされる「ありか」を試したい

SUR #001
宮本真理子さん

 

第一回スタートアップルームのゲストは、フードアーティストの MARIKO TRIP 宮本真理子さん。再会のために、生駒山(奈良県)を登ってみました。

ちょうど紅葉が終わった頃、冬を迎えようとする山の空気を身体いっぱいに浴びてお話を聞きました。

料理をすることで自分を表現し磨く。からだ・こころ・スピリットを整えてきた宮本さん。生駒山との偶然の出会いで始まった「おと。」。店主としてのスタートアップ 2年目にある想いは、‥。

 

料理との出会い、わたしの役割は何なのか ー

 

 

かつては東京に暮らし、化粧品メーカーの営業として多忙を極めていた時のこと。何の疑問もなく毎日を過ごしていたところに東日本大震災がきっかけとなり、大きな衝撃を受けました。

思うままに行動したら生まれ故郷に帰ってきました。

当時のわたしは人に会うのが怖くて、自己紹介もできないから料理教室に通えなかった。ヒールばっかりだった生活から一変し、履き古しのスニーカーで図書館まで40分を歩きました。

自然に料理の棚へ導かれ、帰りにスーパーに立ち寄っては自分のために料理をする日々。それがわたしの毎日のサイクルだったのです。

その中、心が動いたことは

「レシピではなく生き方、作り方ではなく暮らしを豊かにすること」。

料理は薬の代わり。身体を整えるにはどんな方法があるのか追求してみたくなりました。

料理以上に救われたのはその人の言葉であり、生き方だと気づきを得たことが原動力となり「MARIKO TRIP ワークショップ」という次のステージへ移りました。

 

必要とされる「ありか」を試したい ー

 

ひとりの表現者として、旅する料理家として全国各地でワークショップを実施したのは自然な運びでした。伝えずにはいられませんでした。

幸せとは

生きるとは

信じるとは

人間の真理を問いながら参加者と共にその想いを共有する、料理やロータルトに込める時間に向き合ってきました。料理教室ではない料理教室、MARIKOTRIPの世界そのものの体験を喜んでくれることが嬉しかったです。かつての経験を伝えるように「レシピは忘れてもいいから暮らしへ持って帰ってね」と言い続けていました。

でも数時間の間に伝えられることには限界があると感じていた中、出会ったのは生まれ育った土地の「生駒山」。

わたしに残せるものは言葉と料理だと思っています。

全国で巡り合った参加者のみなさんとのハーモニーを大切にすることが料理を作ること以上に大切なんです。

料理は美味しいでなく「優しい」もの。何が必要なのか美味しいを超えた先にあるもの、何が豊かさを運ぶのか常に探しています。

できることのちょっと上を問いかけてくれたのは山でした。

 

自然を識(し)ること、無限の宝にして未来へ伝えたい ー

 

 

静けさの先にある「おと。」とその先を感じてもらえる場所になればと食事やカフェ、セレクト商品を通じて上質な暮らしを伝えようと心を配っています。

お山の上なだけあって、ゆっくりと時の流れを思うままに過ごしてくださる方が多いですね。

有限がいつか無限に変わることをやってみたい、無限にして残すことで未来へ伝えたいんです。

 

幸せの質を問う「おと」と「匂い」の先に ー

 

「おと。」がすくすくと成長するように、平和を願いその中で輪っかを大きく広げてみたい。

一年を通じて季節と店を営む流れを感じてきました。これからはここから発展するそれ以上でもそれ以下でもない、気持ちがいい、心地いい生活の質を問い続けたいと思っています。

大切にするのは温度感。

生駒山にいることで感じる自然の姿、自然の一部としての暮らしのあり方に、この豊かさを自分だけで感じているのはもったいないと思うようになりました。

何に向かっているのか、どう持続するのか、根っこを下に下に。そうすればやがてジワリと表現の一部となる。一緒に進む人かどうかは「匂い」からあゆむ道を判断したい。

規模は小さいけれど心地いい“あきない”がしたい、でも“あきない”を超える何かを創り出す表現体に挑戦してみたいのです。

 

 霊性のレイヤーに敏感になること ー

 

 

ここ「おと。」は山の中。部屋に葉っぱも落ちているし、蜘蛛の巣があって虫や鳥さえも入ってきます。アブに刺されることもありますが、それでも自然の姿を感じ匂うところにそれぞれの「おと。」とその先へのつづきがあります。

瞬間を大切にすること、それらが温度の冷めないように暮らしにつなぐ力としての存在でありたい。

その為には霊性のレイヤーに敏感でいなくてはなりません。

自然豊かな、普段の暮らしより少し空に近い生駒山という場所がそうさせてくれているのかもしれません。

 

「おと。」に込めた想い ー

 

音楽ではない「おと」、それは何なのか。

音が弾けるいち音が命となり、それはエネルギーとなりわたしの霊性そのものです。

忙しい動きや雑音さえもひとつの音として、自然と調和しているならばそれはひとつの心地いい「おと。」として成立するんです。そしてそれが生活の質となります。

その時々の「おと。」を感じる感性。

ストーリー全体で感じるよさを丁寧に感じとれる空間でありたい。どんな音とエネルギーを身にまとうか。

美味しいを超えたところで感じあえる人が集う「おと。」でありたいと店名に込めました。

 

心のやり取りは幸せの確認 ー

 

 

わたしは人に対して深まりを求めるんです。人と同じことはできない、だからわたしは表現者として「豊かさ」を届けたい。

豊かさは幸せや贅沢だけでなく、悲しさや寂しさや辛さも含めて豊かさと言えるのではないでしょうか。

「おと。」に来るだけで確認できるそんな心のやり取りができるように。

お客さんに向き合う環境さえも自然の采配で集ってくれたスタッフがその時の流れで用意してくれているんです。

まずは身の回りの人とともに幸せになりたい。

誰でもいいわけではない。魂や霊性について解り合える仲間だからこそ共感できる時間。

お客さんの満足を見ていると間違いではなかったと思えます。

絶妙なバランスで自然に役割分担ができているのでマネージメントがいらないんです。何も言わなくても調和ができている。

説明のいらない仲間と創り上げる心のやり取りは至福の確認作業となっています。

 

最後の采配は “わたし”ではない ー

 

 

無為自然の中にいると、自然/不自然がふと分かるようになります。

 スタートアップという点では営業職でやってきたマーケティングに全く当てはまらないことに気づき、すぐさま意識を切り替えました。“独自のあきない”を自分が実際にやってみて、負荷や達成感をひとつの味わいとして体験しようと。

まるで、自分自身が『ネバー・エンディング・ストーリー』のファルコンとともに歩むイメージ。

その安心感ややり甲斐が、明日につながるのかな。

わたしだけのファンタジーをリアルにするのは自分次第 。

辛い出来事があればそれは“神様からのお試し”だと思うようにしています。

何を考えさせようとしているのか

何を見せようとしているのか

着地点が見えることで自分の役割がより明確になって受け入れるわたしがいます。

 

おいしいを超えた感性とともに ー

 

器は揃えないし、いろんな形や色があっていい。たとえ欠けてしまっても金継ぎして大切に大切に、使ってあげたい。器に対する心遣いです。

自分と相手の個性を一緒に立てたいから、手を伸ばす本は何だろう、料理をしていても常にお山にいらしてくださるみなさんと感性を高め合いたいんです。

静けささえも「おと。」として持って帰ってもらいたい。上質なものを求め、お客さんからの学びがあるからこそ、

恥ずかしくないお店にしたいなと思います。

本物を知る確かな「おと。」の店主として今日も魂を宿らせています。

 

 

食べるところ、感じるところ、佇むところ、いいものを知るところ。

宮本さんが厳選した雑貨や調味料、本との出会いも「おと。」の楽しみのひとつ。

診療所のために作られた古民家をそのままに、屋根の下でも自然を感じる佇まいとセンスが光ります。

 

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協力/Mariko Miyamoto(MARIKO TRIP)

おと。Café & Beautiful Lifestyle

@otolife.mariko

@marikotrip

聞き手・撮影/Chikayo Kono Modrušan

@croacica