[コラム]祈りが近くにあるところ

 

人生でもう一度行きたい場所が叶うとするならば、わたしは迷うことなくチベットだと答えるでしょう。

電車でチベット入りしたわたしは車中で高山病になりました。立っていることも座っていることもできず、ベットよりも低い場所を目指して自分の体を最大限に低くすることしかできませんでした。身体はとても辛い思いをしたはずなのに心では期待以上のものを得たところ。

祈りの空気が溢れている場所を体験したことが、わたしの中の何かを変えてくれたと思っています。

どんな神様かではなく

宗教でもなく

スピリチュアルでもない

自らの経験と直感に忠実に歩んできたことが自分自身の信仰であることが小さな自信になったのだと思います。

生きていれば嬉しいこと、悲しいこと、悔しいことがあって当たり前。上手くいかない時の気持ちの安らぎをどこに求めるのか。

信じること、信じ抜くこと、信じ切ること。

それらが生きる中で働く中で強く自分の中にあるようにと思っています。

 

 

祈りが生活の一部である、その近い存在を空気として感じることも大切なものだと思い出しては言葉として受け取っていない、“言葉”を自分の心に留めて信じています。

空にタルチョがなびく風景。風が吹くだけで祈りになると揺れる五色の旗が印象的です。自然の中に調和する信仰、いつかまた、訪れる機会に巡り合ったら心の声に聞かせてあげたいと思いっています。

わたしにしか分からない「真実」かもしれませんが、それが祈りを大切にしている場所で見た教えです。これからの時代の生き方働き方に“わたしだけの信仰”が役に立つと思っています。

 

文・撮影/Chikayo Kono Modrušan

@croacica