[コラム]ブルーノ・タウトのように

 

かつてブルーノ・タウトが「涙が溢れるほどに美しい」と表現した日本庭園の傑作といわれる桂離宮。同じように感じたいと歩いてみました。

誰かの感じたことと同じことに、

体験を通じて見える世界をあじわい

理解が深まることで関係が見直せることがあるものです。

これらの体験は宝物です。

庭園や空間全体の美しさはもちろんのこと、細部に信念が込められていることがわかります。たとえ小さな仕事にもささやかな心配りが添えられている完成度、その芸術とも言える技が隠れていることに感動を超えた喜びと発見が溢れます。

一歩一歩踏み入れ足元を意識しながら見ると、石の配置に忍耐を伴う造りが潜んでいます。草履に見立てた靴で歩くとなおさら感じます。統一されていないようでされている、石も硬さ違いで並べられています。

全世界が我慢を強いられる今、私たちは自らの足元をしっかりと見ずに先へは進めないのかもしれません。

地面に忍耐が伴う美しさがあること、石の種類を選び抜いたこと、丹念に丁寧にデザインされていること、それは

人工的なのに自然そのものが感じられる不思議な錯覚で便利さだけに走る様々な製品が異様に受け止められてしまいます。

かつての貴族たちは船を浮かべ水面を愛で、四季の移ろいを楽しんだのでしょう。移り変わる目の前の環境を受け止めて聴き、五感を澄ませて感じる変化やその先の美しさに同じ気持ちになります。

かつての当たり前にあった場所へ大人になって訪れてみるとタウトのように「涙が溢れた」のは懐かしさと時間の経過からこの場所を想えたからに違いなく。それは時代を超えた口コミのちからなのかもしれません。

 

文・撮影/Chikayo Kono Modrušan

@croacica