リトリートとは日常の生活から離れ心と体を癒す旅。観光ではなく自らが自らを治療するという”時間”を指します。今ここをまず離れ自分の中心を変えることがストレスの蓄積と混乱を解放し、現在地を確かめる旅でもあります。
生まれ育った町から少し離れた黒豆のまちが今回のリトリート、誰かの誰もの故郷のような山に囲まれた場所でした。
今日のたった少し目の前を整えるだけで精一杯で、私の中の数々の“私”の役割が機能しなくなっていました。誰にでもあることかもしれず、もしかしたらそのまま過ごせたのかもしれません。ある日受け取った小さな異変に耳を傾けることができたことは幸いでした。
いつの間にかこれまで勤めたいどの会社よりもスタートアップしてからが一番長く、その扉をそっと開けていたことにも気づかないまま、ただ加速していた毎日に追いつかない自分がいたこと、「わたし」を見失い悲鳴をあげていました。気持ちを抑えながら労わる時期であることを意識して過ごすしかありませんでした。
人生は、時に地図のない旅を歩むようなもの。未来は予測できません。どこかに迷い込んで進めなくなっていたとしても、それも美しい人生だと思える日がきっとやってくるのでしょう。
山のそばに佇む家に滞在できる環境に恵まれ、気候も環境も新しく過ごす人生で初めてのリトリート。
人気のなさがちょうどいい新鮮さと、会えば迎え入れてくれる温かい人たちと巡り合わせの不思議。どこからともなく集まってくるオーガニックの野菜はお腹を満たすだけでなく、心を満たし心が救われていくようでした。
休憩ができたようで全くできていなかった日々を思い返しながら、豊かに生きて働く意味を再びいま、掴もうとしています。
薪が燃える炎は美しいもので、まだ熱い窯やストーブにそっと触れるのも時計を忘れるのに都合がよく失った心の温かさに触れているかのようでした。自然の中で風や木の匂い虫や鳥の音を感じると、何かが覚める感覚で、都会で得る情報と質の違いが新しい発想を生み出してくれます。
森と山に囲まれたログハウスの暮らし。当たり前と便利から離れ、戻った今は涼しさが恋しくて、荷物を解くと洋服から木の香りがして、思い出せることもリトリートのお土産です。
すこやかに、おだやかに。
そう、きっと大丈夫。
Text・Photo/Chikayo Kono Modrušan
@croacica