[コラム]1月7日に思うこと、世界の街角から

 

七草粥でお正月気分を締めくくるこの日、わたしは毎年思うことがあります。

1月6日はクリスマスが終わる日でもあり、ヨーロッパ諸国では「公現祭」と言って祝日となる国も多い一日。

25日が過ぎてもまだまだ美しいクリスマスの風景が当たり前のように残る町が、わたしは大好きです。

日本ではクリスマスが終わると同時に余韻も何もなく一気にお正月が加速し季節が忙しいものですが、ヨーロッパではお正月を過ぎてもずっとクリスマスムードのまま。クリスマスとお正月が重なっていると言う表現が相応しいのかもしれません。そして1月6日を迎えたこの日でクリスマスの終わりを告げる最終日です。

ですが、翌7日に街を歩いていると必ず目にするのが表通りに置かれたクリスマスツリー。ゴミ回収BOXに無理やり入れられている時さえあり、専用の回収車まで市内を回ります。この光景は何度経験してもさみしくて慣れないものです。

 

 

この国ではきっと当たり前のよくある風景のひとつにしかすぎず、同時に日本人であることを感じる瞬間でもあります。

クリスマスマーケットもクリスマスツリーもどこも素敵な風景ですが、その後の現実の姿を知る人はそう多くはないのかもしれません。わたしがヨーロッパで過ごしていて一番心が痛む日が1月7日、心のアンテナが大揺れしてしまう一日なのです。

日本人としての“もったいない精神”が前面に出てしまい、横たわったもみの木に出会う度、なんとも言えない気持ちになるものです。

 

なんとも言えない気持ちー

それは寄り添い、共感する時に必要な感情ではないでしょうか。

生まれた国や文化が違うと当たり前が非常識なことも裏と表が逆なことがよくあります。生まれ育った感覚がひっくり返る経験をすることが世界と自分を知ることにも繋がってきました。答えは決してひとつではない。

その国で置かれた環境を十分理解してその場にふさわしい感情に合わせていく、“わたし”はどこだろう。そんなバランス能力もこれからの時代のスタートアップには必要だと思っています。

わたしにとっては少し胸の痛む現実とともに暮らすこともまた、人生の一部。新しい世界を知ることのひとつひとつが季節の節目とともに次のステージを目指す時でもあります。

 

文・撮影/Chikayo Kono Modrušan

@croacica