[コラム]あった時間に戻るために

 

クリスマスとお正月を日本で過ごすことになって2年目が過ぎました。今日、本当ならば日本に帰ってホッと日常に戻り噛み締めているときです。

海の向こうの家族に会えない辛さ以上に、わたしの場所に行けないことへの寂しさがあります。知らない間に家族だからではなく、わたしの“自分ごと”に変わっていきました。

意思とは別に必ず帰らなくてはならなかった”場所”に帰っていないこと。パンデミックで一番変わったことです。

働き方や日常生活が変わったこと以上のこの大きな変化は、我が家の大人も子どももその現実を受け入れることを強いられています。

約15時間の移動は少々面倒なルーティンでしたが、それは日本を離れるまで。あとは巻かれたもの全てから解き放たれる瞬間となり達成感に包まれます。と同時にまた歳を重ねる大切な時期でもあります。1年は12ヶ月ですが、わたしはずっと11ヶ月だと思っていました。クロアチアで過ごす最後の月はカウントされないわたしだけのご褒美みたいに。

もう一つの家族の場所は、生まれた場所でも暮らした場所でもありません。それでも毎年続けてきたことでかけがえのないわたしの場所になっていました。今思えば、継続することで得られた大切な時間と場所です。

空の色や空気や風も日本と同じようで全く違う環境に胸が踊ります。そして、そこで見えたことや考えたことはすべて正しいというのが答えでした。

中心を変えてしまうことが”本物”に近づきやすかったのだと思います。真の気づきを得る場所。

いま、その中心が変えられない環境を何とかできないものかと試行錯誤しながら2022年をまた走り出しています。

わたしの中心はどこか、思い切って中心を少し動かしてみることの勇気と期待とともに──

 

文・撮影/Chikayo Kono Modrušan

@croacica