漂泊の思ひやまず(Travelogue 2)

(Travelogue 2)

世界的なコロナ禍のなかで、旅に出られない我慢の日々がつづきます。2021年もしばらくそうなりそうです。

なかなか外に出られない時間を長く過ごすと、芭蕉の「漂白の思いやまず」の気持ちに心を馳せます。

「道祖神の招きにあいて、とるもの手につかず」の気分です。
 

『奥の細道』

<原文>

月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老を迎ふる者は、日々旅にして、旅をすみかとす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮れ、春立てる霞の空に、白川の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、もも引の破をつづり、笠の緒付けかへて、三里に灸据うるより、松島の月まづ心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、[草の戸も 住替る代ぞ ひなの家]表八句を庵の柱に懸置。

<現代訳>

時は永遠の旅人であり、移ろう年もまた旅人である。舟の上で一生を送る船頭や馬のくつわを取って老年を迎える馬子は、毎日が旅であって、旅そのものをすみかとしている。昔の人も旅で生涯を終えた者が多い。
自分もいつの年からか、ちぎれ雲が風に誘われるように、漂泊の思いがやまず、海辺をさすらって、去年の秋、川のほとりのあばら家に戻って、蜘蛛の巣を払って、やがてその年も暮れ、春になって霞のかかった空を眺めるにつけ、白河の関を越えたいと、そぞろ神が取り憑いたように心を狂わせ、道祖神が招いているようで取るもの手につかず、股引の破れを縫い、笠の緒つけかえて、三里に灸据えていると、松島の月がなによりも気にかかり、住んでいた家は人に譲り、杉風の別荘に移るに際し、
[粗末な仮住まいも、住み替わるときがきた。私が出た後は、雛人形を飾る家となるのだろう]表八句を庵の柱に掛けておいた。